アオイロノオト。

「理想と現実の交差点で」

25本の薔薇の花束を君に。

 


彼の好きなところ。

 

 

ひとつ、声。


優しく、低く、ゆったりとした話し声。
特徴的で、ジャニーズで唯一無二の歌声。
一発で分かる、豪快な笑い声。
どれを比較しても対照的な声、でもどれも大好きで、聞くだけで癒されたりパワーを貰える貴方の声。

 

 

ひとつ、顔。


ジャニーズぽくないと言われる、決して派手ではない顔立ち。
だけど、その切れ長な瞳も、凛々しい眉も、特徴的な鷲鼻も、きゅっと上がりきった口角も、全部が好き。

 

 

ひとつ、優しいところ。


雑誌撮影の裏話でも必ずといって良いほどの溢される礼儀正しさと優しさは、きっと常に裏表がないんだろうなと思わせるエピソード。

 

 

ひとつ、真面目で頑固なところ。


例え、先輩でも偉い人でも自分の信念をぶつけてまっすぐ向き合うところ。
自分、という太い芯を心に携えているところ。

 

 

ひとつ、ポジティブなところ。


「なにわ男子と間違えられる」のは悔しい、ではなくて、なにわの背中が見えてきたということでは?と捉えた貴方の解釈には、流石に脱帽だったなぁ。

 

 

ひとつ、ぽやぽやしてるところ。


しっかり者でグループのまとめ役!なのに、どこか抜けていて、天然で。
でもあざといし、計算なのか、天然なのか、もう分からない。
まぁいいや可愛いから、なんて丸め込まれてしまうけれど。

 

 

ひとつ、時々口が悪くなるところ。

 

最近はメンバーにも時々口が悪くなりながらツッコんだりしてて、あぁ信頼してるんだろうなぁ、などとしみじみしてみたり。

 

 

ひとつ、自分の見せ方をわかっているところ。

 

パフォーマンスとしての見せ方は勿論、webの連載の内容だったり、雑誌での見せ方だったり、"ファンが喜びそうなもの・盛り上がりそうなもの"の取り上げ方が絶妙。

 

 


多分、好きなところを語り始めたら、何時間あっても足りないくらい時間が必要だし、語彙も必要だし、言語化するのは難しいから、結局まとめると「全部が好き」だなんて語彙力1のワードに収まってしまうけれど。

 

貴方のすべてが愛しい。

 

 

 

 

 

24歳の彼には色んな景色を見せてもらえた。

 

グループとしては勿論、個人でも色んな雑誌に取り上げてもらっていたり。
初めてグループの衣装のプロデュースをしたり。

 

そして、何といっても舞台「染、色」。

 

武器であるギターと共に勝ち取った、関ジュでの初オリ曲ソロパを松竹座の0番で披露してた、2018年の春を思い出した。
私はあの時、「こうやって夢を掴んでいく瞬間を見届けていきたい」と強く思って、彼の担当になることを決めた。

それから3年経って、彼は主演でグローブ座の舞台に立っていた。

そんな景色が見れるなんて、あの頃の私は微塵にも思っていなかった。
そして、そのステージに立つ彼は、見たことのない姿だった。

 

 


よく、他担の友達に「正門担って正門くんと相思相愛な感じがして羨ましい」と言われたり、それこそ今年の「染、色」を絶賛されたりしたけれど。

 

いつだって、彼は私の誇りだ。
最強で、最高の、自担。

 

 

 

 

 

「応援してて良かったと思えるアイドルになります」

いつも私たちにくれる言葉。
彼のブレない信念。


彼と同じ時代に生まれて。
彼と同じ国に生まれて。
今、こうして彼を応援出来ていることが本当に嬉しい。
あの日、担当になると決めて、本当に良かった。

 

 

正門良規くん、お誕生日おめでとう。

貴方にとって素敵な25歳の1年になりますように。

 

大好きだよ。

 f:id:a0218_mskkfs:20211128234357j:plain

 

#正門担になれて良かった

 

『染、色』の世界に酔う。


f:id:a0218_mskkfs:20210630115715j:image

舞台『染、色』大千秋楽おめでとうございます。
昨年の涙の公演中止を経て、1年ぶりの再演決定。
開催が今年も危ぶまれるところでしたが、無事当初の予定通り、東京での初日を迎え、今日大阪の千秋楽まで来れたこと本当に嬉しく思います。

『染、色』に対しては本当に思うこといっぱいあって、今もめちゃくちゃ胸いっぱいなのですが、それはまた舞台が終わってからじっくり反芻していきたいと思います。

千秋楽を前に、一度色んなことを整理しておきたくて、今日は感想を織り交ぜながら、個人的解釈をつらつら書いていきたいと思います。あくまで超・個人的解釈です。
あと、私は苦手なものの1つが要約なので、本当に長くダラダラと要点のない話を続けてるので、びっくりするくらい長いです。そこらの論文より長い。多分文章めちゃくちゃなところもあるし、私の備忘録だと思っていただければ。

(あとどうしても千秋楽前にあげたくてめちゃくちゃ読みづらくなっちゃった……あとでレイアウトいじります)

 

 

 

【深馬に染み付いていく真未の存在】


深馬の中に"真未"という人格(と言っていいのだろうか)が現れ始めたきっかけは、私は冒頭のシーンにあると感じました。
WSでも流れた杏奈と深馬のキスシーン。原田が作品展用に使おうとしていた風船が割れて、皆が我に返りましたが、音に驚いた杏奈が背後にあった深馬の作品にぶつかります。落ちそうになった作品を必死に受け止めようとする深馬……その時、腕に作品の塗料が付きますが、それを見た深馬は狂ったように笑い始めます。この、腕に塗料が染み付いた瞬間が、深馬の中に"真未"の存在が現れたのかな、と私は思っています。真未が腕にスプレーをするのと何となくリンクする気もするので。
ただ、初日は、作品を受け止めた後、深馬が腕に塗料ついてるの確認して、みたいな流れなかったような気もするけど……まぁ如何せん初日だし覚えてないだけかもしれない。笑
この作品落ちるかが結構難しかったみたいで、日によっては杏奈が上手く当たらなくて綺麗に落ちなかった日もあるんですよね。それでも深馬の腕に塗料がつくように、上手く自然にリカバリーする正門くんの動きが良かった。
色々日によって小道具が落ちたりとかしたんですけど、戻す流れがめちゃくちゃナチュラルだったんですよ。個人的に好きだったのは、河川敷で飲んでたビール缶をムシャクシャしながら壁にぶつけるシーン。その動き見たのは2回くらいなんですけど、缶が勢いよく戻りすぎた時に、客席に落ちたりしないように、缶を踏み潰したりしてたのがあって。こう、深馬の苛立ちをより感じられる動きを伴いながら、カバーするっていうのが、自然で良かったな、と。


深馬に真未が染み付いていく、といえばその流れを視覚的に演出されていたのがとても好きです。
最初は真っ白なTシャツにベージュのパンツだった深馬。
作品展の時(自分の仮定としては"真未"の存在が現れるきっかけの後)は、白の上にベージュを。
真未と出逢って、影響された深馬は、やがて真未のように腕に塗料を。
そして、真未と一線を越えた後は真未と同じように全身黒ずくめに。ただ、ここで中のTシャツだけが最初の白のままだったのが、真未が完全に染み付いた状態ではなかったのだろうなぁと。1番深馬にとって心臓に近い部分が。さらに腕の塗料が一層濃くなっていきます。
深馬が倒れた後、病院に運ばれた深馬の服はグレー。本来の深馬の"白"と染み付いた"黒"の狭間の色。
病院のシーンから引き続き深馬の独白が始まると、やがてグレーを脱ぎ、元の白へ。さらに杏奈に手渡されたタオルで腕の塗料を落としていく。ここで「だんだん僕は真未のことを思い出さないようになってきた。いや、思い出さないようにしていたのかもしれない」と深馬が語りますが、その言葉をなぞるように、真未が染み付いていた証をどんどん剥がしていきます。
ただ、パンツは黒のままで、居酒屋のシーンでは再びベージュを羽織って、思い出さないようにしていたはずの真未の存在を口にするんですよね。
こうやって、深馬の移り変わりを深馬の服の"色"で表現していたのが、とても良かったです。
ちなみに、真未は(シャワー後を除いて)終始黒でしたが、最後に白真未だったのがまた印象的。あれは深馬の未来の姿だと私は解釈してるのですが、まぁそれはまた後程。
こうした視覚的な演出は、小説では伝わりづらい(というかそれを文字に起こしてしまうのはナンセンス)ので、舞台ならでは、の仕掛けだと思います。

ちなみに、ポスターでは真未が白、深馬が黒のパーカー(色違いでお揃い)なんですよね。逆なんだ。劇中のスマホも、真未が白で、深馬が黒。こちらも逆。スマホの機種までは断定出来なかったけど、これも同じ機種だったりするんですかね?


あと、真未が深馬の首に赤い塗料をつけた、"染色"したシーンも好き。
そのシーンのあと、杏奈の部屋に行き、そこで杏奈に「汚れてる」と言われ拭われる深馬ですが、あれは赤い印・マーキング、つまり"キスマーク"のようなものだと思ってます。この演出めちゃくちゃ興奮した。笑 この作品ならではの演出で素敵だなぁと思います。
後程、深馬の腕についた塗料を見て「また汚れてる」と言う杏奈に対し、「汚れじゃない!」と憤る深馬ですが、これまた完全に真未に影響されてて好き。腕の色が段々濃く深く鮮やかになり、真未とちゃんとリンクしてるのは演出が細かいなぁと思います。
そういえば、赤い塗料、最初は首後ろだったのに、右耳下に変わったのは微調整かなぁ。それとも初日の位置ミスかなぁ。

 

 

【深馬と真未が描いていたもの】


劇中では深馬と真未がグラフィックアートとして描いたものがいくつか登場します。役者の動きと映像をリンクさせたり、アートの動きをダンスとして表現したり、プロジェクションマッピングの演出だったり、このアートシーンがとにかく素敵でした。正門くんってこんなダンス踊れたんだ!って毎回見るたびに思うし、本当に素敵なんですよね。(語彙力3の感想)
何とかここだけでも映像にならないものかな……。
正門くんはダンスが苦手だという自覚もあると思うんですけど、このダンスの練習がワークショップ仕立てで、思ってた以上に楽しかった!と雑誌で言っていたので、素敵な出逢いだったんだなぁと。正門くんがダンス好きだって思えるきっかけをくださったあらゆる方に感謝。

二人が描いた作品はいくつかあるのですが、それぞれ意味があると思っていて。色々調べてみて、その意味合いにしっくりきたものが沢山あったので、まとめておきたいなと思います。まだまだ解釈出来ていないもの・解釈が浅いものもあるけれど……。


①恐竜の骨
ある日、高架下で酔った深馬が壁に1本の線を描きます。そしてそのまま眠る深馬。深馬が眠る間に現れた真未が絵を描き加え、完成したのは恐竜の骨でした。

この恐竜、何の恐竜かは特段言及されていませんが、首が長い恐竜だったので、私は"ブラキオサウルス"ではないかと思っています。
ブラキオサウルスは首と尾が長く、首の部分の骨の密度が薄く、腰から尾にかけて骨の密度が濃いのが特徴です。このブラキオ、という言葉、ギリシア語で"腕"という意味だそうです。何となく作品とリンクしません?

夢占いで巨大な骨が出てくるのは大きなトラブルが訪れる暗示だそうです。特に動物の骨の夢は運気の低下、心身の不調を表します。
また恐竜の夢は"脅威"や"本能"を象徴し、自分の手には負えない環境や存在に苦しめられる恐れを暗示、自身の本能的な部分を象徴する、内に秘めた凶暴性、攻撃性を表しています。
こう考えると、真未=深馬自身の本能に怯える深馬……何だか当てはまりそうな気がします。笑


②胎児
また別の日、また深馬は高架下で酔いながら壁にスプレーで描き始めます。今度は一つの楕円。しかし、またそれで描くのを辞めてしまうと、フラフラとその場を立ち去り、入れ替わりのように現れた真未が続きを描きます。
夜が明け、深馬が北見や原田と高架下に来ると、深馬が描いた楕円は胎児のイラストとして完成しているのでした。

新しくつくりだされた命である胎児は"創造力"のシンボルであり、夢占いにおいて胎児は今後能力を発揮したり才能を開花させることを暗示しているそうです。また、"庇護"の象徴でもあるため、才能やお仕事、人間関係などを大切に守り育てていくことを表す夢でもあります。
胎児の夢は吉夢で、見ると今後大きな幸運が訪れると言われていますが、心身の状態の悪さを暗示することもあるそうです。
アートを志し、才能に悩む深馬に合いそうな意味合いのような気がする。

ただ、これ、最初は気づいてなかったんですけど、この胎児と思っていたのが、髪の長い女性で。となると、意味合いが変わるだろうな、と思ったんですけど、ここから何をどう調べたら意味合い解けるか分からなくなったので、詰みです。(諦めた)

ひとまず、胎児として絵を解釈。


青い花
さらに別の日、深馬はスプレーで1本の花を描きます。そして例の如く、深馬が眠る間に真未が現れ、完成させたのは青い花。そういえば、深馬が描いたのは平面的な花だったのに、真未が描いたら立体的になってたのは興味深かったです。これも何か意味合いあるのかな。(そこは読み説けてない)

青い花、というのは無限への憧れの象徴、幸福、または理想を表します。
夢占いで花は才能や儚さのシンボル。鮮やかに咲いた青い花を見るのは、知性や直感力が高まっているサインだそうで、眠っていた才能が、ようやく開花の時を迎える、という暗示だそうです。
真未と深馬が出逢う直前のシーンとしては、ふさわしい意味合いなのかな、と思います。

花といえば花言葉ですが、あれって何の花なんだろう。花の色に意味合いがあるのか、花の種類に意味合いがあるのか……。
花の種類だとしたら、明らかに自分の知識不足であれが何の花なのか分からないんですけど、パッと見はシンプルに青いバラに見えるました。
青いバラだと花言葉は"不可能"とか"存在しないもの"。しっくり来るような気もします。あ、でも最初はマイナスな意味合いばかりでしたけど、今は"夢叶う"に変わりましたよね。その移り変わりも、この世界観に合いそうだなぁと思ったり。

あと、あの花、燃えてるようにも見えて。
"燃える花"といえば、度々SNSで話題になる花があったな~~という記憶から調べたのが、サイコパスの花として知られる"ゴジアオイ"という花。
この花は日本の気候に馴染まないために、日本ではあまり知られてないのですが、周囲の気温が上昇するとこの花の茎から揮発性の油を分泌し、この油が充満した環境で、太陽熱などで発火が起こると周辺は燃え上がり、火事になります。このゴジアオイも燃えるのですが、実は油を出す際に、耐火性の種を巻きます。すると、自身の種は残り、燃えた他の植物を肥料にこの花は繁殖していきます。ゆえにサイコパスの花と呼ばれています。
この花は晴れた日の正午頃に咲き、夕刻には萎む1日限りの花で、その儚さゆえか、花言葉は"私は明日死ぬだろう"。
深馬は真未から作品を完成させるとは"死ぬこと"だと教えられますが、その言葉に通ずるような気もします。
ただ、ゴジアオイの花って白とか藤とかピンク色が主で、青色はあまりない(鮮やかな空色はある)ので、この解釈が合ってるかはちょっと不安。

でも、1本の花でも捉え方によって色んな解釈出来て面白いなぁ。

この完成した絵を見た深馬は、また狂気的に笑うのですが、この笑いが本当に怖い。正門くんにサイコパスの役ください(唐突)


④山羊と蛇
深馬が途中まで描いた動物に真未が描き足し、さらに目覚めた深馬と描き上げた、印象的な作品です。この作品は途中にも何度か登場しますが、この作品の解釈を得るのが非常に楽しかった。
初見では正直山羊の絵だと思ってたのですが、2回目観劇の際に、山羊にまとわりつく蛇の存在に気づきました。

この「染、色」のモチーフとなったものが、ずばりギリシア神話に登場する怪物"キマイラ"だと思うのですが、キマイラは獅子の頭、牝山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持ちます。
まさしくこの絵はキマイラだと私は解釈しました。
山羊と蛇、では獅子は?獅子は深馬自身だと解釈しています。深馬(みうま)という名前、読み方を変えれば、"シンバ"、そう、アフリカの言葉・スワヒリ語で"ライオン"です。

キマイラは中世のキリスト教寓意譚では、主に"淫欲"や"悪魔"といった意味付けを持って描かれています。
またこの他、ライオンの部分を"恋愛における相手への強い衝動"、山羊の部分を"速やかな恋の成就"、蛇の部分を"失望や悔恨"を表すとされたり、その奇妙な姿から"理解できない夢"の象徴とされるそうです。
一般には、妄想や空想を表す普通名詞ともなっており、"曖昧な存在"、"崩壊する自我"を表すともされています。
これを踏まえると、めちゃくちゃ「染、色」の世界観だな~~って思いません?

また、元々、キマイラはヒッタイトで神聖視された季節を表す聖獣で、ライオンは春、山羊は夏、蛇は冬を表すそうですが、深馬が「秋に咲いちゃった桜は次の春も咲けるのかなぁ」と言っていましたが、その欠けた秋を埋めるような台詞だったのが興味深い。
ちなみに、「染、色」の季節っていつなんだろう。服装や深馬が熱中症になったこと、滝川先生が深馬に声を掛けた「外も涼しくなってきたから」の台詞から考えると、夏の終わりから秋にかけて、という感じだったけど、美大の作品展って秋のイメージだし。でも蝉の鳴き声からしても夏だろうし、母親に「お盆には帰るつもり」という台詞からして、夏の終わりというより、夏真っ盛りなタイミングだよなぁ。ここらへん現実的に考えちゃうのはナンセンスなんですかね。笑

ちなみに、生物学で"キメラ"はこのキマイラにちなんだ命名で、同一個体の中に遺伝子型の異なる組織が互いに接触して存在する現象や、その個体のこと、つまり"異質同体"を表します。
まさに、深馬と真未を表してるとしか思えません。
この話をシゲアキ担にすると、このキマイラは度々ゲームなどにも登場することから、「シゲアキさん、ゲームするから、そこでこのワード拾って広げた可能性はある」と太鼓判押してもらったので(?)、「染、色」のモチーフはキマイラ説は間違いないと思います。シゲアキさんの思考って予想だにしないライン攻めてきてめちゃくちゃ面白い。
というか、「染色」とキマイラを結びつけて物語展開するの天才すぎでは……?

さて、少々脱線してしまいましたが、山羊と蛇のイラスト。
キマイラとは別に山羊と蛇単体での意味合いを考えると、山羊は、"悪魔"の象徴、蛇は、"死と再生"を象徴すると言います。
キマイラでも山羊は牝山羊だというし、山羊は真未の存在を現すのかな。(真未はある種、悪魔のようにも感じる)
蛇の"死と再生"っていうのも、「絵を完成するとはちゃんと死ぬということ」という台詞や、才能が枯れてしまったと感じていた深馬の再生……。上手く言葉に出来ないけど、この作品に合うキーワードのような気がします。

あと、このグラフィティ、ラストではモノクロになってましたが、あれって深馬が1人で1本のスプレーで描いてたからなんですよね。でもずっと深馬にはカラーに見えていた。
深馬にとって、自分の世界を彩ってくれる存在だった真未。そんな真未という存在を失って、色褪せてしまった深馬の心情を現すような意味合いも感じました。
原作の美優はロンドンに行く、市村は一緒には行かないという選択をした、という物理的な距離にも伴う別れだったけど、真未は"存在すらしなかった"という現実を叩きつけられた上での別れだったから、一層酷だったな……。

アートシーンでダンスするのはここが初めてなんですけど、深馬役の正門くんと真未役の三浦さんの息が本当にぴったりで!毎回このシーン見るのが好き。あとここの音楽が絶妙。音楽と共に自分の気持ちが高揚します。サウンドトラック売ってください。
足の上がり方とかが正門くんのままなんですけど(笑)、こんな踊りが出来るとは……!と。二人の動きがシンクロして、絡みながら動くんですけど、どこか艶かしさもあって、とにかく毎度鳥肌ものです。
この絵を描き終えた時の2人の体勢が、まるでお互い体に巻き付いてるみたいで、ちょっと絵みたいだなと思ったり。


⑤朝日とビル
"ポリダクトリー"のニュースと共に描く深馬と真未。
このグラフィティの解読が色々難しかったのですが、私は朝日とビルの絵と解釈しました。

朝日は夢占いで"苦労からの解放"、"運気上昇"、"新しい恋の予感"を表し、ビルは"権力"、"高い目標"を表し、強い上昇志向やモチベーション、未来への大きな期待を表します。
これは、真未と出逢ったことで、自分の苦しみから解放されだした深馬を象徴した絵のような気がします。

ただ、このグラフィティ、途中で上下逆さまになるんですよね。
そこにも意味合いがあると思っていて、上下逆さまは夢占いで"意識的な変化の兆し"なんですけど、これだけじゃ弱い気もして、何かもっと他にも意味合いがあるんじゃないかと、考察を深めたいシーンでもあります。
上下逆さまになってから、このグラフィティが目のようにも見える。これ、後に出てくる目に繋がってるように見えるんですけど、どうなんだろう?

滝川先生の部屋でデッサンをしている時に「随分作風が変わったな」と言われてたけど、その作品の下絵がこれだったりするんだろうか?真未がこれを見ながら「空間が歪んでるみたい」って言ってたけど、上下逆さまになった時に、ビルと地面の設置面が歪むんですよね。(その曲線が目の輪郭のよう)
深馬も「ここの色をワインレッドにしようと思って」って言ってるけど、確かあのシーンでワインレッドは使われている。
ただ、滝川先生が「ロランスさんも気に入ると思う」という話をしていたから、あれは企画展用の下絵?だとしたら、企画展用の作品は真未に手出しさせなかったし、二人で描くのは違うし、これを描きながら「企画展用の作品進んでるの?」と真未は聞くし、なぁ。

そういえば、このシーンも、深馬が描くのは全部白で、着色していくのは真未だったな……。


⑥ライオンとドラゴン
この絵も何なのか分かるの難しかったー!
ただ、身内にはレオナルドダウィンチが描いた『ライオンとドラゴンの闘い』、に似てると聞かされ、それはそうかもなと。
ライオンは見えたんですけど(ライオンを意識し過ぎ)、ドラゴンがなかなか見えなくて。聞いてから見ると確かに見えます。
ただ、ライオンとドラゴンの闘い、イラストは出てくるんですけど、それ以外の解説とかもなかなかネットには無くて、解釈の参考にできないんですよ……。

とりあえずライオンとドラゴン、というヒントを得て、私が調べた中で辿り着いたのが、ドラゴンヌという怪物。
ドラゴンヌもまた、キマイラのように、ライオンとドラゴンの特徴を寄せ集めたような身体で、ドラゴンヌは凶暴で恐ろしいハンターとされるのですが、全てに攻撃的ではなく、住処に侵入したり、縄張りを脅かした相手を攻撃するみたいなんです。
そして、ドラゴンヌは山羊などを食べる。

この後のシーンで、偽物のポリダクトリーが現れたことを知った深馬は、それを発見し、捕まえますが、"縄張りを脅かした相手を攻撃する"予兆のイラストだという解釈はひとつ出来るかなぁと。
あと、キマイラの絵(④山羊と蛇)の解釈のところで山羊は真未だとしましたが、ライオンの深馬が、このあと真未に噛みつき、反抗するんですよね。そういった意味合いとも取れる。

赤いドラゴンと、黄色いライオン。色も何か意味合いがありそうな。
深馬と真未が2人で描いていたのに、最後は深馬1人になって目の絵に切り替わるの絶対意味があると思うんだけどな……。
赤と黄色で描かれてるのも、ぐるぐる絵が変化するのもどういう意味なんだろう、色々調べて考察した結果、次の絵に繋がるので、次の項目で記したいと思います。

それまで深馬はずっと白でしか描いてなかったのに、初めて真未とのアートで色を使ったのはこのシーン。黒深馬、真未が染み付いてしまった深馬だから?


⑦目
深馬と真未が描いた最後の作品のラストに登場します。真っ黒の中に白一色で描かれた作品。
これが何なのか、まだ考えが十分に至ってないのですが、作品展の時に友人たちが「余白が効いてる」「吸い込まれる」と言っていたことから、もしかして深馬の作品展の作品なんじゃ?という1つの仮説を持っています。
睫毛が縦線なので真未(深馬)が白で描き足したのも動きとして合致するんですよね。
ただ、油絵っぽくないのと、色が白黒なのが引っかかるポイント。まぁ黒に見えているけど、実は何層も色を重ねた結果の色だという可能性もありますが。
杏奈は「見てると落ち着く」って言うけど、この目のイラストが落ち着くとは到底思えない。笑

先ほど仮説的に述べた、朝日とビルの絵がロランス朱里の企画展用の作品なら、辻褄も合ってきそうなんですけどね。作品展用に描いた作品がこの目、それをスケールアップさせた作品があの朝日とビルの絵(目に見えたことが繋がってくる)。
ただ、やはり、色々矛盾もあるので、ひとまずこの辺りでこの仮説は一旦置いときます。

古代エジプトの象徴である"ホルスの目"というものがあります。
ちなみに、描かれた目は向かって右に睫毛が流れてるので、左目。ホルスの左目は"ヴジャトの目"と呼ばれますが、ウジャトの目は月の象徴とされており、欠けた月が満ちることから「失ったものを回復させる」という意味があり「全てを見通す知恵」「癒し・修復・再生」の象徴とされています。なるほど、再生。この舞台のテーマですよね。
このホルスの目は第三の目であり、第三の目とは物質と神経をつなぐ場所のこと。魂のありかとは精神的に物事を感じることができる場所です。急にスピリチュアル。真実を知るうえで第三の目は最重要な器官であるとされていますが、この絵の後から深馬は真実を知るんですよね。

このスピリチュアルな話をもっと派生させると、第三の目は第6チャクラと呼ばれていて、第六感が司る場所なんです。
チャクラってヨガとかでよく使われるワードらしいんですが、チャクラは"車輪"や"渦"などと訳されます。チャクラは常に回転していることから、"回転"の意味も含まれています。頭から胴体へと縦に配列された車輪のようなエネルギーとして描写されます。チャクラは思いや感情を身体とつなげるツボ。
この回転、前述のライオンとドラゴンのイラストがぐるぐる回転したことと繋がる気がするんです。

この第6チャクラは"ビジョン"を象徴、つまり、人生を正確に見る能力を示します。魂からのメッセージと言われる夢も第6チャクラと関わります。第6チャクラは想像力に関わり、ポジティブな未来を心に描き、それを現実に作り上げることができます。困難に直面しても、それに隠され本当の意味を理解し、解決するために想像力を働かせることができます。第6チャクラのバランスが崩れていると、被害妄想や物忘れ、集中力低下の可能性があります。知性に偏り過ぎて、非物質的なものを否定し、物質的な世界だけに依存してしまう傾向が出てきます。また、対応する肉体に何かしらの不調が現れます。

そして先ほどの赤と黄で描かれたイラスト。
第1チャクラは"基盤"を示し、色のスペクタクルが赤、第3チャクラは"自己"を示し、色のスペクタクルが黄色。
第1チャクラ(ルートチャクラ)は人間関係、特に家族との関係が良くないと乱れます。深馬は家族と仲が悪くないはずだけど、円滑かと聞かれればやや疑問視するところ。第1チャクラが乱れると、アルコールなど依存性のあるものに頼ろうとしてしまいます。深馬は、アルコール依存性ではないけど、アルコールをやたら摂取していたのが気になるポイント。
第1チャクラは「自分の力で生きていくことができる」と実感することが大切です。誰かに頼って、その人がいないと生きていけない状況は、自分が地に足をつけた生活をしていない状況であり、第1チャクラを乱します。
第3チャクラ(ソーラープレクサスチャクラ)は自己主権と関わります。自尊心、人生の進む方向、個人の意志、自分をどう思うか、相手にどうみられているか、といったことです。また、自分の人生を思い通りに進めているという感覚、他者との関係で自分をどう見るか、にも関わります。自己主権は、人生におけるさまざまな選択や決断、行動に影響していきます。第3チャクラのバランスが崩れていると、感情面では共依存、うつ、依存症、怒りが現れます。

この辺関わりあるか分かんないけど、読み進めるとめちゃくちゃ面白い。元々信じる信じないはさておき、スピリチュアルには興味あるので。またじっくり読みたい。
https://www.timeless-edition.com/archives/250
「六感に委ねないで!」と真未に怒られそうだな。笑

 

ほとんどの絵のモチーフを夢占いで解釈しちゃったのは、どうなんだろう?とは思うんですけど、まぁひとつの捉え方としてありかなぁと思ったので。(そして最後はスピリチュアル)
絵の解釈は色々出来たけど、ものすごく点と点で考えてる感が否めなくて、全然線になってない部分も……。もっと色んな知識とそれを調べて深める時間が必要ですね……。

 

【それぞれの名前が持つ意味】


「深馬、真未。ま行だらけだ」
あらすじが発表された際、主人公らの名前が原作から変わっていて。台詞にもあるように、ま行だらけで、それは違和感を感じました。これは何らかの意図を持っていそうだな、と。
みうま、って名前なら美馬とかが自然な気はするし、深馬ならしんば、って読むのが自然な気がするし。でも彼は"深馬"で"みうま"じゃないといけなかったんですよね。

みうま、まみ。深馬の中に存在する真未。これは意図するところかは微妙だけど、真未の中にない音"う"はu、つまりyou(貴方)という意味合いになるのも面白い。
深馬、の読み方を変えれば、みま、ひっくり返すと、まみ。見方を変えればそれは同一。
あと絵の解釈でも書きましたが、シンバはアフリカの言葉でライオン、というのがあるので、彼は深馬、という漢字なんだと思います。

真未という名前の"真"という字は、"偽りでない。本物。真実。もと。本質。みち。正しい。生まれつき。天性"という意味があり、"未"は、"いまだ"という意味。未熟の"未"、未来の"未"……色んな意味合いが取れそうです。

また、真未の"未"は干支の"ひつじ"です。さらに、ひつじの前は"うま"。字は違うけど、この2つ、干支で並ぶ存在なんですよね。一般に未(ひつじ)の陰陽五行説などによる本義は「昧」で、これは陰気の支配であり、具体的には、全ての物が成長しているような状態を表します。対して、午(うま)の本義は、「忤(さからう)」に通じ、これは上昇する陰と下退する陽との抵触であり、具体的には、全ての物が陰陽と交わろうとしているような状態を表します。陰気の支配をする未(ひつじ)の真未、上昇する陰と下退する陽との抵触をする午の深馬……当てはめられそうで面白い。(こじつけ感厳しいかな?)
音で言うなら、午の前は巳(み)で"みうま"と並んでいるのも面白い。
巳午未で夏を現すというのも面白いなと思いますし(前述しましたが、この作品の時間軸が夏かなと思うので)。

それから、"まみ"という音なんですけど、人をたぶらかす魔物、もしくは邪悪な人の例えを魔魅(まみ)と言うんですって。もしかしたら、そこからも来てるのかも。(それを認識してなかったとしたらしたで偶然の一致がすごい)

深馬と真未以外で、気になる名前が杏奈。
杏奈は原作そのままの名前(名字は橋本から小早川になってたけど)なので、わざわざ意味合いがあるのか分からないけど、杏という字はあんず、奈という字はからなし(唐梨)を表します。
あんずの花言葉は"臆病な愛"や"疑惑"、唐梨の花言葉は"努力"、"唯一の愛"という意味合いがあるそうです。
深馬に対して探り探りながらも一心に愛を注ぐ杏奈、でも時に疑惑の目を向けたり、というのがあって、名は体を現すじゃないけど、ぴったりで面白いなぁと思います。

人の名前の意味合いとかを知るのが好きなので、他のキャラクターの名前も深掘りしたいけど、それをやり始めるとキリがないので(意味合いがそもそもあるとは限らない)、今回はこの辺りで。

 

【深馬と狂い咲きの桜】


「秋に間違って咲いちゃった桜は、次の春も咲けるのかなぁ」
この作品で、原作にはないのにやたら重要視される"秋に咲いた桜"の話。初見からめちゃくちゃ引っ掛かったし、「あぁシゲアキさんのソロ曲(星の王子様)の歌詞と一緒だけど、このフレーズ好きなのかなぁ」って思いました。
十月桜ではなく、間違って秋に咲いてしまった桜(ソメイヨシノ)。
これは、私の中では深馬のことを指しているのかなぁと解釈しているのですが、秋に咲いてしまった桜(たまたま入学の時に上手くいっただけの深馬)はまた、次の春に咲けるのか(才能を開花させて枯れてしまった深馬もまた咲けるのか)。
ラストシーンで白に身を包んだ真未が桜吹雪の中に浮かびますが、あれは未来の深馬の姿で、もう一度咲けることを予感しているように思えました。

でもあの後、深馬って果たしてアートを続けたのだろうか。実は続けなかったんじゃないか、だから深馬は最後に杏奈を選んだんじゃないか。少し、そんな気もしてきています。
深馬にとってアートって何だったんだろう。絵を描けば周りが喜んだ、特に親が、と言う深馬。深馬が心からアートを楽しんで描けたのは、真未がいたあの瞬間だけなんじゃないかって。真未と描く深馬は本当に楽しそうだった。もしかしたら幼少期は楽しんで描けたのかもしれない、でも「迸るような勢いがあった」という1、2年の頃は、怒りのような感情を創作の発露にしていた深馬。それって楽しいの?
真未は深馬に「深馬は絵をすっぱり辞めるきっかけが欲しかっただけ」と諭しますが、心の何処かで深馬は絵を辞めたかったんだなって。辞めて、自由になりたかったんだなって。友達にも先生にも親にも縛られない、自由が。
深馬と真未のあのシーン、深馬の心の底に潜む"絵を辞めて自由になりたい自分"と、そんな自分を信じられず否定したい深馬の葛藤みたいで、見ていて苦しくなります。

桜吹雪の真未を未来の深馬の姿だと捉えて、どこかハッピーエンド的余韻を感じたりもしていたけど、アートで成功することが深馬の幸せだとは限らないんだよなぁ、と回を重ねるごとに思うようにもなりました。

人って誰しも誰かに認められたい、って思うけど、親に認められたい、ってちょっとありません?親が味方でいてくれることってこれ以上ないと思うんです。
深馬の親(特に母親)は、深馬がアートの道で生きることしか許してくれないんですよね。それってすごい苦しいと思う。ちょっと毒親っぽい。だって深馬がアートの世界を諦めることを仄めかしたり、スランプなことを仄めかしただけで、泣き出す親だよ?深馬にとって1番の足枷は親なんじゃないかな。真未の言う通り「深馬は恵まれてる」けど、果たして恵まれてるのか?
真未のように「親がいなくて施設育ち」というちゃんとした不幸(これをちゃんとした不幸ってのもちょっと違うような気もするんだけどな)、分かりやすいものがあるのに対し、深馬の状況って幸せじゃないことって他人に理解してもらいにくいと思います。だから、「ちゃんとした不幸とちゃんとした自由がある真未には分からない!」と深馬は激昂するのだと思います。

深馬がこの先アートの世界を楽しく生きていけるならそれでいいけど、そうじゃないのなら、別の道を歩んで、伸び伸びと過ごしていってほしいな。(誰)
まぁどの道を選んでもそれなりの苦悩は付きまとうものですけどね。
パンフレットを読み込んだ感じ、キャストさん曰く「どこか光の道筋が見えるような」ということなので、そんなにひねくれなくても、最初に捉えた通り、深馬はまたアーティストとして咲ける日が来るのかも、という解釈でいいのかな。

そういえば、北見のおばあちゃん、方言的に中国地方か九州地方の人かなぁって感じやけど、どこの方なんだろう。狂い咲きって結構全国的にニュースであるから分かんないな。舞台は東京の大学、深馬の実家は山形、北見の就職先は兵庫(神戸。実家の企業だから実家も兵庫なんかな?標準語喋るけど)、原田の就職先は北海道(札幌)。あと雁巻川って新潟にある川だけど、色んな地方出てくるなぁと思いました。いや、東京が舞台なので、がんまきがわ、雁巻川じゃなくて、架空の川の名前だとは思うんですが。

 

【"深馬"という人、そして演者・正門良規くん】


深馬は原作の市村とはまた違う印象でした。
原作の市村は天才で、周りからも「神じゃん!」と崇められるような存在ですが、深馬は同じ天才でありながら、壁に行き詰まり、そのスランプを周りにも見抜かれているという立ち位置。深馬の方がより人間味がある感じがして、ちょっと共感しやすいキャラクターになってるなと思いました。市村も作品展の出来が良くなかった自覚があるみたいですが、あくまで『染色』は二人の男女の出会いから別れを静かに描く、がテーマなので、そこにあまり重きは置かれなかったですよね。
深馬は仲間と馬鹿やったり(ステナビさんにもツッコまれてたけど深馬すぐ鼻に物入れる変顔しがち)、自分のスランプや苛立ちからお酒に逃げたり、悩んで苦しんでもがいて、全然普通の男の子なんですよね。

原作の市村ってすごいクズだな嫌な奴!で終わったんですけど(とは言え、まだ深く読み込めてないのでまたこの舞台を経て読み込んだら新たな視点もあるかもしれない)、深馬はただただクズとして片付けられなくて。
シゲアキさんは「こいつ嫌い!と一線を引いてしまう可能性があるけれど、正門が演じるから大丈夫」と言う。脚本を書いたシゲアキさんの絶妙な匙加減もあって、正門くんの演じる深馬は、最低な奴ではあるんだけど、どこか嫌いになれない、苦しみも理解できるし、そこに愛着さえも時に感じる。

正門くんと深馬って結構似てるな~~って私は思うんですよ。
あまり他人に自分を深く見せない部分とか。
でも正門くんはまだ自分の信頼している人にはそういうのを見せますけど(最近はそれがメンバーに対して現れてきてるので嬉しいです)、深馬って本当に見せないんですよね。面接で杏奈も指摘してたけど。
ちょっと分かるんですけどね。深馬の周りの、北見は中途半端で楽観的な感じとか、滝川先生の相談乗るから、と言う割にあまりまともに向き合ってくれない返しとか、杏奈も深馬のこと分かりたい、って言う割には、変化していく深馬を受け入れられなかったり、上っ面な部分しか見えてない発言したりとか。母親もちょっと相談的に溢せば泣かれるし。そりゃあ、自分の心うちを話せる人もいないだろうなぁって。苦しいね、深馬。

こないだのグレショー(2021年6月20日O.A.回)で、演出家の菜月チョビさんが「正門くんはちょっと影がある雰囲気が似合う」って仰ってたんですけど、まさしくそれなんですよ。そういう表情出すのが上手いんですよね。
真面目で優しいとされる正門くんに差す闇の部分……刺さりますね……(癖)

この深馬演じるのって本当に気力もいるし、心身共に相当疲弊すると思うんですよね。深馬の不安定さを繊細に演じることが要求されると思うんですけど、正門くんが普段"普通"を崩さないからこそ、役に説得力が出るというか……。普段から情緒が揺れやすい人が演じてもどこか伝わらないというか……とにかく正門くんの抜擢って、ある意味なるべくしてなったんだろうなぁと。"平熱の美学"がここに活きている。そして、よく言われる、正門くんの"正気の狂気"を改めて実感しました。あれの稽古後にご飯バカ食い出来る神経怖い。(まぁでも身体にしっかり出てしまっているのでご飯をちゃんと食べてくれるのは良いに越したことはない、カレーでもカツサンドでも何でも美味しいもの食べてくれ、ヲタク微力ながらもステッカーセット大量に買うので)
この舞台一度観劇するだけでもめちゃくちゃパワーいるのに、それを毎日平然と演じてみせる正門くん、まじで正気の狂気。

今回の演技で特筆すべきは、やはりラストの種明かしのシーンというか、真未の存在についてのシーンですよね。時間軸が回想シーンのように戻ってから約5分間、台詞なしで正門くんの演技と音楽、映像、そして観客の想像力だけに委ねられるという。
真未、としての動きや表情がきっちり真未なんですよね。本来の深馬じゃない。そして、時間軸が回想から現実に変わる瞬間、キマイラを描き上げて義肢でタギングし満足げだった様子から思い出して不安や恐怖に駆られる様子に一瞬で表情が変わるんです。あの表情ひとつの変化で観客に時間軸を分からせるという演出凄いな……って。
真未の部屋で深馬は自慰行為に及びますが、深馬は真未の存在をかき集めるかのように抱き締めて床に倒れ込むんですよね。すごい切ない。もうその存在をかき集める仕草も切ないし、抱き締めているけど腕の中には勿論真未はいなくて、ただただ深馬自身が自分を抱えているだけで。このシーンだけでなく、真未と深馬が一線を越えてたシーンがあり、あれも考えてみれば結局深馬1人だったわけですが、最後のシーンでも深馬は同じ動きをするんですよね。最初は深馬が乗っかってる体制で、後に逆転して、深馬が仰向けになって。指を絡めたりの動きも全部なぞるんですよ。切ない。本当に切ない。
で、これが、日によって真未とのシーンの動きや表情が違ってたりするんですけど、全部同じようになぞる。正門くん、全部動きや表情覚えてるんですよ。天才なの?ちゃんと再現する辺り、やはり深馬が完全に憑依してるとはしか思えない。
日に日にこのラスト5分の表現がパワーアップしていて、毎回瞬きするのさえ惜しくなります。

正門くんは自分が憑依型とは思えないと言っていたけど、いつだって板の上にいるのは紛れもなく深馬で、正門くんではなかったけどなぁ。まぁダンスの足の上がり方とか、走る時のドタバタした感じとか(まるで大草原を走るかのように!という声が聞こえてきて笑いそうになるので、我々にこの呪いをかけた大西流星くんには責任を取っていただきたい)、そういうのは正門くんっぽいなぁになるんですけど。笑
カテコの2回目まではずっと"深馬"で、3回目のカテコでスタオベした場内見渡してふわっと嬉しそうな表情になった瞬間、やっと正門くんに戻るんですよ。もう、初日なんか、それ見ただけで急に涙溢れて泣いちゃいましたけどね。笑
カテコの挨拶で毎回その姿を見る度、あぁ座長なんだなぁ、と改めて噛み締めてしまうし、毎回少しでも違う挨拶にしようと思ってくれてるのかな?って思える言葉選びだし、たまにぽやっぽい空気出すとたちまち会場中が優しい空気になって、何というか……とにかくすごい空間なんですよね、カテコの瞬間って。
正門くんが毎回カテコで口にしていた「大阪の千秋楽まで、誰1人欠けることなくカンパニー一同横一列に」、いよいよそのゴールが数時間後に迫って来ました。残り1公演、どうか無事に終えられますように。

 

【"真未"という人、そして演者・三浦透子さん】


真未は結局何者だったんだろう。真未=深馬とだけで片付けられるほどこの物語は単純じゃないなって考えれば考えるほど深みに落ちますよね。笑
真未は深馬にとって、希望を与える存在であり、絶望を与える存在でもあった。神様のようで、悪魔のようで。

私は真未は深馬の"イマジナリーフレンド"のようなものだったんじゃないかと思います。
イマジナリーフレンドとは、"目に見えない人物で,名前がつけられ,他者との会話の中で話題となり,一定期間(少なくとも数ヵ月間)直接に遊ばれ,子どもにとっては実在しているかのような感じがあるが,目に見える客観的な基礎を持たない。物体を擬人化したり,自分自身が他者を演じて遊ぶ空想遊びは除外する。"と定義され、通常は児童期にみられる空想上の仲間のことを指すのですが、青年期以降にも出現するケースも稀にあるそうです。
イマジナリーフレンドは本人にとって伴侶的ないしは適応的に働くことが多い。だから真未は深馬にとって都合の良い振る舞いや、自身の思いを代弁してアドバイスを行ったりもしてくれる。けれど、適応的なスタイルが何らかの理由で破綻したとき、イマジナリーフレンドは本人の意思に逆らって暴走し、自傷や他害の要因になることもある。そのような場合、病的とみなされます。
イマジナリーフレンドは、ときに本人の身体活動を行うことがあり、本人とイマジナリーフレンドが位置を入れ替えるようにして、イマジナリーフレンドが前面に出て行動します。解離性同一性障害の人格交代に近いような現象であるが、イマジナリーフレンドの場合はあくまで主体は本人であり、本人の意思で交代する。コントロールが不可能になり健忘が生じてしまうと解離性同一性障害の基準を満たしてしまう、とのことですが、そのコントロールが不可能になってしまったのが、あの絵を壊すシーンであり、その後深馬は"熱中症"として病院に搬送されますが、深馬は多分精神的なものもあって入院を余儀なくされたんだろうなぁ。居酒屋で北見と原田が「まだ、ダメなんだな……」というシーンもこの辺りが絡んでいるのでは。
イマジナリーフレンドはあくまで本人が自認しているものなので、あくまでイマジナリーフレンド"のようなもの"だという曖昧な解釈にとどめておきます。
でも深馬はきっと精神的な病を抱えていたのは間違いないと思います……独り言(深馬は真未と会話をしているつもり)、幻覚(真未)、妄想(滝川がポリダクトリーを乗っ取ったと解釈する深馬)……この話はまたいつかきっちり纏めてしたいな。

真未は原作でいうところの美優に当たりますが、市村と深馬以上に美優と真未は異なります。
真未は親がおらず、小さい頃から施設育ち。絵の勉強などせず、誰にも何にも縛られず、自由に伸び伸び生きる真未は、深馬とは真逆で。深馬は自分とは性格も生い立ちも真逆な人格を生み出し、憧れた。
原作の美優はそもそも実在するし、市村と同じ美大生で。壁にグラフィティを描き始めたのは美優だった。壁のグラフィティではないけど、未完の作品ばかり残していたのは美優で、それに描き足すのは市村だった。『染、色』とは男女逆なんですよね。美優と深馬の方が近いかもしれない。(そして美優にも"ま行"が入ってるのね……)

真未は深馬のように絵を学んだりしてないから、"パースが狂ってる"って言うのも伝わらないのに、"タギング"という用語を知っていたのは何故なんだろう、ってのは純粋な疑問。原作では美大生だけど美優も知らなかったから、そのまま真未もタギングというワードを知らない設定でも良かったのでは?
その、"パースが狂ってる"の話の時に「何だっていいんだよ、面白ければ」と真未は深馬に言い、深馬は「そうだね」と答えるけれど、この真未の台詞が舞台冒頭のシーンの「何だってアリだよ、面白ければ」という深馬の言葉とリンクすることに気づいた時には、こんなところに深馬=真未だという伏線があったのか!としてやられた感。笑

三浦透子さんは話題となった新海誠監督の『天気の子』の主題歌などをRADWIMPSと歌っていたので、存じ上げてたのですが、お芝居を拝見するのは初めて。余談ですが、『グランドエスケープ』も『祝祭』も大好きなので、毎回『染、色』までの道中は三浦さんの歌声がBGMでした。笑 特に『祝祭』が好き。(聞いてない)
三浦さんも佇まいからちょっと雰囲気あるなって思ってました。正門くんと同じ、ちょっと影のある感じが似合う。ミステリアスな感じがするんですよね。

彼女のエネルギーがやはりこの物語を引っ張ってくれている感じがしました。真未の得体の知れない気持ち悪さみたいなのが絶妙なんですよね。まさしく"怪演"。特に私は真未がスプレー隠されて泣くシーンのおどろおどろしい泣き方、そして絵を壊されて憤る深馬に「深馬が望んだんだよ!」「これからも深馬の望むこと、全部私が叶えてあげる」と深馬にまとわりき放つシーン、ここの二点の真未が特に気持ち悪くて飲まれました。

東京千秋楽のカテコで、挨拶された時に、意外とおっとりされた感じの印象を受け、吃驚した記憶があります。役柄的にクールな印象を勝手につけていたので……。ギャップがえげつない。

 

【"北見"という人、そして演者・松島庄汰さん】


北見はマジで"良い奴"だった。シゲアキ担のお友達が「シゲアキさん、そんな良い人描けるんだ……」って言ってたくらい、良い人(笑)
1番感情が素直で余裕がなくて、人間らしいかもしれない。

北見は深馬と似たような環境で育ったんじゃないかなと思います。
家が裕福で、幼少期から絵の英才教育叩き込まれて、大学入学して天才として周りから認められて。境遇は似てるけど、雰囲気や性格、考え方なんかは対照的に描かれてて興味深かったです。
北見は"動"で、深馬は"静"。北見は明るくて、マメで、熱い奴。深馬はおちゃらけたりもするけど、基本的には落ち着いてるし、どこか冷めてる。

1年前の作品展で杏奈のことナンパしたけど、当の杏奈は深馬を気に入るし、付き合っちゃうし。北見は色んな女の子と連絡取ったりして、女の子にも不自由してないんだろうけど、自分がいいな、と思った子は振り向いてくれないし、能天気な彼女に深馬のことを相談されちゃうし(てか杏奈、北見の好意気付いてないの?どういう神経なの?)、当の深馬は杏奈に対して変わらず粗雑な上に北見と杏奈の仲を疑うし……北見可哀想(涙)
北見は結局杏奈に手出ししないし、触れることすらしないけど、深馬の作品崩壊犯として疑われた時に、杏奈の手に思わずすがり付くシーンは切なかった……。
まぁでも北見と杏奈、本当に何もなかったんかな?私はそうは思ってないんですけどね(えっ)

あと、北見は深馬と同じ"天才"とされていたけど、その割には、先生は深馬ばかりを目にかけていた印象がありました。
深馬には作品作りの参考資料を渡すのに自分たちにはない、ロランス朱里の企画展の話を深馬にした時も深馬には「(将来のことを考えるのは)作品が出来てからでいいんじゃないか?」と言うのに、「お前達は先のこと考えとけよ!」と自分たちのことは斬る。先のこと考えとけ、って明らかにアーティストとしての道は諦めろよ!って意味だと思うんですよね。北見を演じる松島さんは、『北見も原田も、アーティストとして生きるのをどこか諦めてる』って仰ってるんですけど、作品展の時に「美大生でもアーティストとして生きていけるのはほんの一握りだけだよ」と言う原田に、「俺はこの中に入ってみせる!」と北見は笑いながら言うんですよ。笑いながら言うけど、あれって本音でもあると思うんですよね。北見だけじゃなく、原田も。どこか諦めているけど、まだ完全に諦めきれてはないと感じたんです。
まぁ、4回生の夏って流石に将来決めないといけない時期ではあるんですけど、相談に乗るわけじゃなくて、お前らには無理なんだから先のこと考えろよ!と切り捨てられるのは、あまりに切ない。
原田は滝川先生は自分より二人のことを気に入り過ぎた、と捉えていたようですが、私は滝川先生が気に入っていたのって、深馬だけのような気がするんですよね。

そんな北見ですが、北見って"良い奴"だし、初めは北見好きだったんですけど、回を重ねる毎にあんまり思わなくなったんですよね。
真未、深馬が言う通り、中途半端だし、物事をあんまり本質的に捉えないし、楽天的すぎるし。それが心地良いかは人によるけど、私はあんまりかなぁ。
あと人の恋愛ごとに首突っ込んできて説教する奴、めんどくさい(笑)深馬が実際杏奈を大事にしてるかどうかはさておき、自分なりに大事にしているのに、第三者に口出しされるって、シンプルに苛立つなって。女の子がコロコロ変わる北見には言われたくない(笑)
まぁシンプルに私があの手の陽キャ苦手ってのもありますが!笑
深馬がロランス朱里の作品展の件で悩む時も、楽観視したり、極端な発言するけど、杏奈には寄り添う感じ……深馬の時には真剣に何かアドバイスしてくれたり、親身になってくれないのに(深馬があまり自分を見せないからというのもある)、杏奈のことになるとやけに真剣になるよなぁ。むむむ。何かモヤる。好きな子が幸せになってほしい、って感情からだとは思うんだけど、対深馬という友人に対しての寄り添いが薄い。

そういえば、北見は親の会社にコネ入社したけど、コネ入社しなきゃいけないほど厳しいのかな?北見の明るさとか、フランクさなら、別の企業でも十二分にやれそうなのにな、と毎度思います。笑

北見演じる松島庄汰さんは若手五人の中では少し年齢が上で。てっきり正門くん達と同い年くらいだと思ってたら、まさかの30代。自分よりも年上でした(笑)
東京千秋楽の挨拶では小声で挨拶する仲間にツッコんで和ませたり、「オールナイトニッポン聴くぞ~~!」って宣伝してくださったり、多分、普段の稽古とかでもこうやって場を盛り上げてくださったのかなぁって思います。

あとシンプルに顔が好きな系統過ぎ。友達と言ってたのが、越岡くんと辰巳くんと真田くんを足したような顔。分かる。そして、あの手の顔はリアコと相場が決まってる。好き。あとあのお顔で関西弁なん、好きになるしかないやろ。


【"原田"という人、そして演者・小日向星一さん】


原田は、素朴、という言葉が似合う青年だったなと思います。というか、演じ手の小日向さんの出す味が絶妙。原田、可愛いんですよ。癒し。私は原田が1番好き。
原田は2人の天才・深馬と北見を引き合わせ、その化学反応を楽しむかのようにカメラを回し、2人の成功を記録した映像を残すことで自身の成功を図ります。

原田は2人を撮影してずっと追ってるからか、深馬や北見の心情に1番寄り添ってくれる人だと思いました。
北見と原田、杏奈で深馬の話をしている時に、秋の桜の話を聞いた原田は「それって……」と何かに気づいたような反応を示しました。あくまで私の解釈であり、願望でもあるのですが、多分、原田はこの秋の桜の話を深馬がやたら気にするわけ、深馬の苦しみに気づいたんだと思います。
深馬も深馬で、原田が滝川先生を好きだったことに気づいた。ポリダクトリー事件が、どこまで現実でどこまでが現実じゃないかは一旦さておき、原田が誰にも言えずに隠していた感情に深馬が気づいたのは紛れもない事実。そもそも偽ポリダクトリーのところで深馬は原田の気持ちに気づいたけど、あのやり取りの中で原田が滝川先生を好きだって誰でも気づくわけじゃないと思うんですよ。多分北見は気づかない。(北見への圧倒的信頼感の無さ)
深馬と原田ってお互いの感情をさらけ出せる良い仲間なんじゃないかなと思います。深馬の心のうちを理解してくれる人がいない!と言いましたが、原田は理解してくれる人なんじゃないかな。まぁ深馬は天才で、原田はそうじゃないと思ってるみたいだからアレだけど、同じ芸術を志す人間としては、わかる部分もあるだろうし。というか、原田は多分、そういうの明かしてもらえることに喜ぶタイプだし、どこまで身になるアドバイスをしてくれるかは分からないけど、寄り添ってくれるはず。
てか、原田、クラスメイト全員に無視されるって、言ってたけど、シンプルに何でなん?原田を無視する要素がどこにあるかクラスメイトよ、一人ずつ言うてみ?

原田に関しては、初見より結末を知ってから見ると、色んなところに伏線張られていて面白いです。
冒頭で恋愛について語る原田は「女子はね、寂しい時に寂しいって言えないの!けどそれを察してくれたらね、もうコロっていっちゃうわけ!」「2ヶ月!?問題だよ、深馬。俺だったらそんなに会えないならもうアレだ……オールバックにしちゃうよ!」と言いますが、これ、全部滝川先生への想いが詰まってるんですよね。
クラスメイトに相手にされず1人ぼっちだった原田に声を掛けてくれ、いつでも部屋においで、と言ってくれた滝川先生。コロっていっちゃったんだね、原田。
最後にはフランスに行ってしまった滝川先生。オールバックで居酒屋に現れる原田。切ないね。
冒頭みんなでお酒飲むシーンでは、親しげに滝川先生のところに話しかける原田がいるのですが、すぐさま邪魔する北見に、原田の気持ちも知らずにお前は……!という気持ちに毎度なります。笑
恋愛的な要素以外でも、深馬と北見、原田の3人が仲良くなったきっかけを杏奈に問われた時に複雑そうな表情を一瞬見せたりとか。でも北見が「コイツにナンパされたんだよ」って言われて、「うん、ナンパしたー(笑)」ってすぐさま笑って答える様子に、毎回胸がぎゅっとなります。

原田演じる小日向星一さん。正門くんと1つ違いかな。正門くんのこれまでのお仕事でジャニーズ以外の同世代の方と絡むことがなかったはずだから、今後も俳優仲間として関わりがあったら嬉しいなと密かに思ってます。
東京千秋楽の時は、いつも原田が被ってる帽子を外してそれをイジイジ触りながら、挨拶してたんですけど、すかさずそれ見た松島さんが「めっちゃ乙女なるやん!」ってイジるし、正門くんも「そんな声ちっちゃかった!?」ってイジるしで、めちゃくちゃ深馬北見原田の空間や~~!ってなりました。しかもそれを岡田さんが「喋ってんだから」と松島さん正門くんを窘めてて、やっぱり滝川先生の部屋ですかここは?状態だった。良いもの見せてもらいました。Twitterとか見てても、多分小日向さんってイジられキャラなんですよね。しょっちゅう捌け際に岡田さんにちょっかい出されてたし。すごい可愛い。癒し。

毎回終演後にTwitter更新してくださってたの見てたんですが、カテコの正門くんの挨拶の言葉を少し引用するかのような言葉でツイートしてくださるのが嬉しかったです。コッフィーさんってあだ名が可愛いよね。

 

【"杏奈"という人、そして演者・黒崎レイナさん】


杏奈は原作には市村の恋人としてあまり深く描かれていませんが、舞台ではより色深く描かれています。
名前を変えてしまったが故、しょうがない部分はありますが、原作の杏奈は市村を"いっちゃん"とあだ名で親しげに呼んでいたにも関わらず、舞台の杏奈は深馬を"深馬くん"と呼んでたことから、ちょっと距離があるなと感じました。深馬って多分名字だよね?
原作ではあまり描かれていないため、比較しづらいですが、私が原作で読んだ杏奈の印象ってもっと自分本位なイメージで、積極的で、あんまり市村のことを理解しようという感じはしなかったんですよね。
それに対して、舞台の杏奈は、深馬のことを理解できないけど理解したいと思ってるし、その為に必死な印象を受けました。ただ、その必死な感じが逆に痛々しくもあり……。
必死で健気に見えるけど、私は正直あんまり好きなキャラクターではなかった。

一言で言って「めんどくせぇこの女!!!!!!」これに尽きます。笑
まず2ヶ月も恋人である深馬に逢ってなくて、逢えるか分からないのにいきなり大学の近くで待ち伏せてるの、シンプルに怖い。北見には「重いって思われたくなくて言えなかった」って説明してるけど、結局連絡してるし、ハ?ってなる。逢えるか分からんのに、お酒2人分買ってるのも怖い。
深馬と上手くいかなくて、深馬の友達に相談している辺りも怖い。まぁ確かに彼の友達なら何か分かるかな~とか良いアドバイス貰えるかな~とか思うのは分かりますけどね。でも外堀から埋めていってる感あって怖い。聞いてくるくせに、何で?どうして?だし、「私そこまでの友達いないからさ!」とか「深馬くんが私と付き合ったのって別れるためかなぁ」とか、かまってちゃん感・メンヘラ感が否めない。地雷女。
杏奈がそこまで深馬に固執する理由って何なんですかね?深馬の才能?顔?深馬の顔良いよね、私も好き()

杏奈といえば、面接シーン。シンプルに練習不足すぎる。北見に「面接、全然上手くいかなくて!」「私ってそんなにダメなのかなぁ」って言うけど、あの程度の受け答えで受かると思ってるのが間違い。突飛な質問ならまだしも、志望動機や自分の強みをさっと答えられない時点で、絶対受からない。見ててちょっとイライラしましたね。笑
2回目の面接シーンの時は、落ち着いててちょっと成長してたけど、あれで総合総社受かるほど、世の中甘くない……。
まぁでも今時、自分を家電に例えると?なんて聞いてくる会社はロクでもないから、辞めておいた方がいいかと思います。笑

全体的に杏奈にはイライラさせられるシーンが多かったし、それは私が杏奈と同じ女性だから苦手で脚本を描いたシゲアキさんは意としていないのか、それともわざとなのか、分からないけど、もうちょい良い女に描いたら良かったのでは……?と思ったり。杏奈が苦手な感情が邪魔をして、杏奈の一途さや苦しみが今ひとつ共感しづらくなっちゃったなぁというのが本音です。

そういえば、杏奈のスマホの着信音がOfficial髭男dismの"Pretender"のイントロもどきな音楽だったのですが(もどき、です)、Pretenderといえば「君とのラブストーリー それは予想通り いざ始まればひとり芝居だ」とか「グッバイ 君の運命のヒトは僕じゃない」といった切ない歌詞が印象的ですが、まるで深馬を想う杏奈の心情を記したかのように当てはまるので、あの音を聞くたびに毎公演切なくなってしまいます。

あと、杏奈のスマホといえば、これは完全なる余談なんですが、某携帯会社に勤める知り合いが「これは完全に職業病やねんけど、杏奈のスマホらくらくスマートフォンやった」と初見時の感想の序盤で教えてくれた時はめちゃくちゃ笑ってしまいました。杏奈なんかスマホのヘビーユーザーっぽいのにな。……いや着眼点おかしいやろ。笑

この杏奈を演じる黒崎レイナさん、舞台は初挑戦ということでしたが、正直なことを言うと、瀬戸山さんに声による違いを意識してと言われた、というのをよく言ってた割にはあまり違いが伝わってこなかったな~~って。でも日によっては、その声の違いが伝わりやすい日もあったので、回を重ねるごとに見るのが楽しみになっていたキャストさんです。特に「好きだよ!……私は」って深馬に言うシーン。あのシーンの杏奈の悲痛な叫びが日に日に刺さるような演技になっていて、杏奈のことは苦手だけど、すごく切なくて杏奈の気持ちに同情せざるを得なくなりました。その後も空元気な感じで話す雰囲気とか、とにかくあのシーンの杏奈の必死の叫びと、深馬の冷めた表情や態度の対比が映えて良いなぁって。あと黒崎さんの表情での演技が繊細で好き。

東京千秋楽の挨拶で、一番手に指名されてアワアワしてたの可愛かったです。初舞台で、そういう挨拶に慣れてないのに指名する良規、本当に鬼だな。まぁ何も考えてなかったただのぽやだと思うのですが(笑)

 

【"滝川"という人、そして演者・岡田義徳さん】 


滝川先生はどういう解釈をつけても謎。1番謎。深馬が信頼出来る語り手ではないので、難しいんですよね。
ただ、滝川先生も深馬に近い関係で、深馬の葛藤に近いものを持っていた。真未と違って存在するけど。

「何で俺の夢が、俺のものじゃないんだ」
「お前だってそうだろう?誰かの力で自分じゃない何かになろうとしている。そうやって非凡を気取ろうとしている」
「意味?意味なんてないよ」

滝川先生が深馬に放つ言葉には刺さるものがあります。滝川先生の言葉からは先生の苦しみをひしひし感じると共に、自分自身、私への問いかけにもなる。
「誰だ?誰がお前を変えた?」と滝川先生は言いますが、これって真未の「1人じゃ何も出来ないくせに!」という台詞にも通ずる気がします。深馬自身では変われなかった、1人じゃない、誰かの力で深馬は変わった、と。まぁ深馬は深馬自身の力で変化してるんですが。
結局、この偽ポリダクトリーのシーンは深馬の幻想だとすれば、これは全部深馬が深馬自身に投げた言葉である。あまりに切なく、酷である。
ただ、滝川先生の言葉が全て深馬の幻想ではない気がする。優秀な深馬のアートに良くも悪くも影響は受けたはずだし、それに刺激を受けたからこそ、最後は夢を追ってフランスへと行ったのだと私は解釈しています。

深馬はずっと滝川先生のことをどこか見下していたように思います。「あくまで脇役」とか。目上の人にめちゃくちゃ失礼。
「僕は自分のことは自分でわかってるつもりです!……先生にはわからないでしょうけど」
結局、深馬は分かっていなかったけれどね。自分のことは自分が1番理解してるつもりで分かっていない……刺さりますね……私は何になりたいんだろう……自分がこの先どうしたいか何なりたいかどうなりたいか……それさえわかりません……病みそうなのでこの辺で辞めます。

そうそう、滝川先生が深馬に勧めた本の表紙に"シーレ"とあり、恐らくエゴン・シーレの作品集だと思うのですが、私は芸術に対しては本当に疎いので、即検索!したら、なかなか興味深い。シーレって天才画家なんですけど、なかなかクズなんですね……。シーレに比べたら深馬なんて可愛いもん(笑)
シーレの壮絶な人生の中に出てくるヴァリーとエディットという2人の女性がいるのですが、シーレはヴァリーを運命のミューズ(シーレにとってヴァリーは出世作を数多く生み出す契機となった運命の女神)として次々名画を世に生み出します。あれ?何かちょっと真未っぽい。
しかしヴァリと深く結びついていながら、堅実的で幸せな家庭を持つことを願ったシーレは中級階級の姉妹と関係し、そのうちの一人・エディットと結婚し、ヴァリーに別れを告げまます。あれ?何かちょっと杏奈っぽい。
深馬はシーレほど女にだらしなくないけど、ちょっとシーレの人生に似ている部分もあって面白いなぁと思いました。シーレは映画などにもなってるみたいなので、是非知識を深めるためにも鑑賞したい。
ちなみに、滝川先生、「詩をモチーフにした、美術の作品集」って言って深馬に渡すんですけど、シーレで調べてもシーレが詩をモチーフにして作品を作ったとか出てこないんですよね……。これは私の調べ方が悪いのか、ヲタクが調べることを前提としたシゲアキ先生のイタズラなのか……。(後者なら完全にしてやられましたよ)

シゲアキ先生のイタズラと言えば、話逸れるんですけど、深馬がロランス朱里の話を受けてあの絵は自分のものじゃない!と友人達に放つシーンで、深馬が頭冷やすために「ちょっとトイレ行ってくる」って言うじゃないですか。あれ、最初杏奈が追いかけるから、一瞬原作の多目的トイレのシーン捩じ込まれるのかとドキッとしたのは私だけですか?
原作を知っている人に対してのシゲアキ先生のイタズラかと思いました。笑

さて、滝川先生の話に戻りますが、滝川先生演じる岡田さん。もう、流石ベテラン!としか言いようがありません。
偽ポリダクトリーのシーンで、滝川が深馬に迫りますが、ここの滝川先生、毎回違うんですよね。台詞は同じなのに、その台詞を悲しげに言ったり、怒りを交えて言ったり、笑って言ったり、本当に毎っ回違うんですよ。同じ日の公演でも、昼はAの台詞は悲しげにBの台詞は怒るようにCは狂気的な笑いを交えて、なのに、夜はAの台詞は笑いながら、Bもまた笑うように、Cは怒りを、といった感じで。それでも滝川先生の想いは毎回ぶれることなくこちらに伝わってくるので、演技の幅広さにただただ圧倒されました。これだから生身の舞台は面白い。対峙する正門くんも毎回それを受け止めていたので、それがまた相乗効果でというか、あのシーンの厚みを増した気がします。

あとめっちゃメタ的なこというと、いつも岡田さんが公演時間終わってないのに、ツイートしてるの見ると、「あぁ、今日も滝川先生のシーン終わったんだな」って密やかな楽しみだったりしました。笑

 


【染、色】


とにかく、色んな面々で考えさせられる舞台でした。
物語の内容もそうだし、自分自身への問いかけにもなった。見るの毎回めっちゃ体力消耗する。笑
正門くんにとってこの舞台に出逢えたことは間違いなく彼の財産になるし、私もいち観劇者としてこの作品に触れることが出来たのはかけがえのない経験にもなった。巡り合えて良かった。

深馬が小難しい詩に惹かれたように、理解できないものに惹かれる感覚、めちゃくちゃ分かるんです。この『染、色』だってそう。
それを真未の「理解出来ない感覚が気持ちだけ。酔っぱらってんのよ」という台詞を通して突きつけてくるシゲアキ先生は酷い(笑)だけど、自分の中にはない、想像外の感覚に触れるって感情を大きく揺さぶられるし、酔ってしまうんですよ。
酔っ払い上等です。多分私はこの先もこの世界にずっと酔い続けます。

この作品を通して、解釈を進めるためにも色んなことを調べたりして、付け焼き刃だけど多少なりとも知識の幅は広がったし、今までザ・ジャニーズなエンターテイメント舞台やミュージカルくらいしか舞台の観劇経験のなかった私にとって新しい舞台の楽しみ方が出来た。
あとシゲアキさんの作品は今まで読んだことがなかったんですけど、この舞台きっかけにシゲアキさんの世界観が面白くて、本片っ端から買って今地道に読み進めてます。この舞台で自分の世界が新たに少し拓けた感覚がします。とても嬉しい。

深馬は"死ぬのが怖いから"作品を完成させなかった。
この『染、色』もある意味、完成していないんだと思う。
それはシゲアキ先生が"作品を殺さない"ため。作品が未完成で余白があるからこそ、私達はその未完成の部分を考え続けるし、私達が考える限り、この作品は生き続ける。
お手上げです、シゲアキ先生。

 

 

今回は7割くらい感想で、考察みたいなものも全然まとまりきってないので、もっともっと時間をかけて自分の中に落とし込みたいし、そもそも今の時点で書き足りてない。誰か私に時間と知識と語彙力をください()
とりあえずこれを完成させるまでは、あんまり自分の感覚にブレを生じさせたくないなと思ったので、実際に逢って何人かと考察を話したのと、お友達の考察くらいしか目にしてないので、また色んな人の考察読んだら違う見方出来るんだろうなぁ。
是非コメントなり、Twitterのリプライなり、DMなりで、お話聞かせてください。

先ほども書いた通り、私はこの先もずっとずっとこの世界に酔い続けるのだと思います。あの世界が踏み入れてしまったから。あの世界が心に染み付いてしまったから。

 

 

一度ついた染みは、消えない。

 

__________そうだろう、真未?